第503回(2022年08月10日)

山田太郎の歩み、実業家編〜山田太郎は議員になる前、なにをやってきたのか?〜

タイムテーブル

[開始] (0:02:27)

山田さんが経営者としてどう活動してきたか。2回目は教育者視点で。8/17と8/24はさんちゃんお休み。8/31に議員になる前に何やってたかを放送予定。

[お知らせ] コミケブース売り子@C100(土)東シ54b「表現の自由を守る会」 (0:03:55)

11時か11時半から売り子予定

[お知らせ] 街宣演説も行います! (0:04:42)

8/13 14:20~ 国際展示場ロータリー前。台風接近中。
小山さんが夏休みのため学生インターン山田くんが参加。資料も作ってくれました。

[お知らせ] 学生インターン山田君紹介 (0:05:46)

[ニュース] 脳性まひの子どもと親の経済負担について記者会見 (0:06:28)

お産のリスクの一つに産道を胎児が通過するときに酸欠になり脳性まひになる症例がある。医療事故時に産科医を守る目的で産科医保証制度がある。(3000万円)
2022年1月1日までは制度の基準が変だった(酸素量の基準など)。医療的なエビデンスが無い数値が指針となっていた。そこからあぶれた赤ちゃんが保証されていなかった550人が対象となった。自見さんと山田さんで働きかけをしていた。このことこそこども家庭庁の仕事である、遡及できるため、積み立ては600億あるので原資はある。ただそれをすると他もしてほしい、という話にもつながる。保健局はお母さんより、厚生省はにらみを聞かせちゅう。脳性麻痺は保証制度をうけられないと介護用品の補助とか受けられないことがあった。基準に入った親からも同じ意見あり。力をいれて作ったこども基本法の改正のひとつに、出産を位置付けて入れた。出産は病気ではないため支援がほぼなかった、妊娠にはサポートあるのに。産科医を守るために作った法案ではあったが、子どもたちを守るための内容をもりこむため働きかけた。

[ニュース] 第二次岸田内閣閣僚名簿発表 (0:14:00)

政府サイドでどういったメンバーで来るかによりこれからの対応も変わってくる。明日明後日までは山田さんも政府メンバーなのでコメントは・・・。でも戦うべき時は戦います。

[特集] 山田太郎の歩み、実業家編〜山田太郎は議員になる前、なにをやってきたのか?〜 (0:15:34)

山田さんが何をやってきたのかをお話。山田君とめぐめぐさんにツッコミもらいながら。外資系儀業にいたけど実業家になって選挙立候補して落ちて復活当選→再選で落ちて浪人→2019年に再選して今に至る。議員の間の浪人中の実業家・経営者のころの話をします。
山田太郎の原点
北京の大学の件は教育者編でお話します。今日は経営者・実業家の話。8/31は教育者・研究者としての話をします。
プロフィール -経営者・教育者・政治家として- 学歴、職歴
修士はスキップして博士課程
1993年 アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社
国内であんまり外資系に進む人がメジャーじゃなかったころ。
コンサルティングって何?の時代。初期メンに近い感じで入社。
2000年 このころから経営者
旬な年表:時代に乗っていきたいと考えていた。1990年代~
2000年以降 ベンチャー上場ブーム、2001年 中国がWTO加盟、中国成長 2003年国内でMBAコース設置が増えた、山田さんも早稲田でお手伝い、2007年債務超過、全財産がなくなったころ、2010年 参院選(みんなの党)→落選。
山田太郎の幸せ度数年表(サラリーマン~経営者)
アクセンチュアの最初ころはDB作ってた。データとITには詳しくなれたけどつまんなかった。
山田太郎の幸せ度数年表(個人事業・政治家)
2016年 落選したけど29万票取った。
天中殺の時病んだとのことだったが、債務超過で40億って「ええ・・・」と思った。byめぐめぐさん
→お金との闘いだった。買収を積極的にやっていたがけど会計ルールが途中で変わってしまったり、保守主義的にゼロにさせられちゃうこともあり色んな所から出資をつのりしのいだ。
特赦な人生だと思う。山田さんの影響でコンサルになりたいと思った。by山田君
山田太郎の外資企業遍歴:
1993年 オラクル6~のDB技術者。PGをしてた。まだコンサルって何?なころ。
1994年 ERPパッケージのバーンを日本に導入。このころからコンサルやシステム開発に関わる。
1995年 プライスウォーターハウスコンサルタント(現日本IBM) ERPのPJ立て直しを行う。結構失敗に終わりがちだった。マスタデータメンテナンスをしてないのが原因。世界中のERPの失敗を知れたのは糧になった。
2001年 パラメトリック・テクノロジー・コーポレーション 3次元CAD。パネラーやったらスカウトされた。
バーンジャパン(現インフォア)、旧PwC(現IBMビジネスコンサルティング)、PTC
3DCAD使ってはいたけど、話聞いていると難しそうだった。最初は補正とかを社内でやってたが、新しいバージョンになって補正もやってくれようになった。byめぐめぐさん

ネットワークマネジメントの体系
PLMを得意としてやっていた。
各種出版活動、PLM:PLMの効果①製品市場投入の短縮化、②売れる製品仕様の作りこみ、③標準化・モジュール化の実現、④設計変更、仕様変更への柔軟な対応、⑤製品垂直立ち上げや製品早期切り替え
リスクでもありチャンス、コントロールできる能力があればチャンス。戦略に変わる。
製造業の変化は次回(8/31)、以前は小型、軽量化で優位性。複合化→携帯電話にカメラが付いた。
1995年以降のモノづくりの変化② 正解仕様の問題
日本は過剰スペックぎみ
Q.ヨーロッパとアメリカの上司に違いあった?A.ヨーロッパは懸念を話し合う、アメリカは前向き。
ネクステック時代:ネクステック株式会社とは。大手製造業向けのコンサルティング&システム開発・導入サービスを提供。
オフィスの変遷(ネクステック立ち上げ期)。なんで会社作ったか。作る気はなかったがユダヤ系技術系企業だったので結構大変だった。オムロンの社長に投資したんだからうちはいるか顧問でもしろって言われて昔作った商号を使った。気づいたらどんどん人が増えて営業が必要になった。
品川イーストワンタワーへ。このころマスタ整備が当たった。どんどん仕事が来た。
人を集めるのにいいビルが必要になったので引っ越しした、面接に来た人が帰ってしまったこともあり。会社から3分で品川駅に着いた。無理して借りた、上場したときはワンフロア借りた。場所って大事、信頼にもつながる。受注は順調だった。
設計製造ソリューション展2005 ネクステックブースの模様:富士通、NECより大きなブースを構えた。これはエーベックスに松浦さんの講演会に学んだ。
PLM関連企業/ベンダーで当社がトップ評価又は高評価(2005年評価)
経営とは何か?(特に上場):三輪車・自転車からスーパーカー(わからない事だらけの瞬間)に乗り換えた感じ。
ベンチャー創業と新規開業一般の違い、IPOなのかM&Aを目指しているのか。アセット。企業価値をどんどん膨らますという考え方。
ただ、崖はある。成長の痛みとは。
企業の成長ステージ:第1段階~第5段階 山田さんは債務超過が一番きつかった。
2005年3月16日 にネクステック上場
IPOドキュメント -元々起業をする気も、上場する気もなかった?!-
社長が厳しく審査されるころ。税務調査も何回か入られた。当時は赤字上場できなかった。
恐怖の約束手形(新オフィス移転でまっていたものは?)
約手、この一枚が、上場に駆り立てた!?
雇われ社長とオーナー社長の違い。いつもお金の心配してた。
ネクステックの実績:戦略的アライアンスの強化およびM&Aの推進 P47
ネクステックグループの製造業向け総合サービス 債務超過の要因・・・。
採用と教育:実際に製品を分解してモノと情報の関係を体で覚える

ベンチャー企業の成功要因(私見) とにかく売り上げ。
1.販売力・営業力が源泉 2、マーケティングとブランド力:IBMの方がお客さんところの上司通しやすいと言われたこともある。 3、しっかりとした業務プロセス 4、成長指向:海外出たり上場する。癖としてやらないといけない。
ベンチャー企業の苦しみ
1、会計制度と減損処理問題 2、労働基準問題 3、自主規制強化問題:コンプラ、ガバナンス強化
アジアネットワークの変化(日本のポジションは?) 中国は都市によって別の国
当時はシンセンなどが部品製造が多かった。今は内陸の方に。だが徐々に費用高くなってきたので他の国に。色んな企業の中国進出をサポートしてた。
スマイルカーブ(中国の弱さ、中国の不安) D-Point:日本はどこで勝負するのか?
上流工程へのアジアメーカー参入 :日本は素材が強い。
欧米/日本/中国の人的関係(グワンシ)の違い
欧米:法の支配が強い、日本は公私の区別がはっきりしてる、中国は私のものは私のもの、あなたのものも私のもの。
グワンシと日本の「和」の比較 :中国人との付き合い方 (文化圏が全然違う)
華僑:共産党が嫌いな人達、今でも共産党のこと信じてない。表上はうまくやる。香港が砦だったが、今は逆転してきている。中国で今商売できないと思うのは、上場しようとすると逮捕されるかもしれない、という怖さがある。中国とどう付き合っていくか、最大の貿易国。なので今後はインド、という話がでてくる。安全保障の問題はまた難しい。
ASEANでコンサルティング P58 伊藤忠のサポート
工業団地の開発支援のコンサルティング業:一番難しかったのは下水。電気は結構簡単だった、弱電(100V)技術者はたくさんいるけど、600V とかの技術者は少ない。下水は付加価値が低いので最後に回されがちだった。
ASEANの東西回廊、南北回廊 D-Point:アセアン統合の本質的変化、背景は何か?)
東南アジアとどう日本が付き合っていくか。戦後処理の流れで続いてきた日本の権益をどう継続させていくか。
TataGroup:一時顧問やってました。Tataはインド最大の財閥。日本では三菱商事との提携。日本へのブランド力はない。インドはエンタメは無い、暑い、辛い、地獄。週末はタイにみんな逃げる。
インドは南北で全然違う。地域によって違う。カーストが残っている。
世界のITサービスランキング P66 10位中4位がインド。富士通とNTTデータも入っているが額が違う。
インド大使とアジア・太平洋地域のデジタル戦略について:詰めた話を色々した。中国びいきのイメージがあるかもしれないが、インドと関わりが増えてきている。

QA。Q.ネクステック時代をリピート率を重視してるのはなんで?
A.コンサルは焼き畑農業と言われているのでリピート率がひくいけど、自分はネクステック時代はリピート率を重視してた。
印象的だったのは、今の現状と山田さんの現状をむずびつけて理解するので、経営とは何か(P42)の三輪車からスポーツカーのところは、自分的には三輪車から自転車の感じだった。
→社長の学校は無いから難しいと思う。山田さん
今はオンラインイベントに力をいれているが、別の社長の話がわからない。インボイスも勉強しにいくけど、難しい。0から教えてほしいのに2から始まっている。めぐめぐさん
山田さんスーパーマン。by山田くん 経営者の方が向いていると思う。by山田さん
今までの経験が今に生きている。byめぐめぐさん IT詳しい国会議員いないby山田さん
インド・アジア圏との今後の付き合いは大事。インドとはなかなか付き合ってないので難しい。中国はグワンシ。
次回は8/31。教育者観点でお話予定。