氷川の山田さん応援歴(1)みんなの党時代編

山田太郎アドベントカレンダー2023
氷川霧霞

山田さんのことを知ってちょうど10年くらいが経ちますが、この機会に、どんな感じで応援してきたか振り返ってみようかなと思います。

とはいえ正直……正確なところは覚えてないんですよね。 当初はこれほど規格外のパワフルな議員だと思ってなかったので、「表現規制に反対してくれる議員さんなんだな。ありがたいな」くらいの認識だったわけです。

たぶん、僕が初めて山田さんの名前を見たのは児ポ法絡み、Twitter で誰かが山田さんのことを話題にしていて知ったのだと思います。明確にフォローするようになったのはたぶんTPPのとき。
そもそも表現規制自体に興味を持ったのは、これもあやふやですが確か非実在青少年の頃からですが、当時はどうやって情報を手に入れてたんだろう?。Twitterは始めてたけど当時はそこまで活発ではなかったような……。

まあともかく、あれこれ規制の話が出ていた当時においても、児ポ法は曖昧な基準で大きな萎縮・自主規制を招きそうな点でも、また単純所持まで規制している点でも、非常に心配になった法案でした。もしこれが通ったらコミケの規模半減とかになって全体的な活気がなくなってしまうんじゃないかと危惧していました。
そんなトンデモ法案の問題点を明らかにしてまあまあ問題のないものするに大きく動いてくれたのが山田さんだったわけです。
そしてこの問題をきっかけに3ちゃんねるを見るようになったのですが、続いて起きたTPPでの鮮やかな活躍を拝見して「この政治家はすごい!」と思い、決定的に支持/応援することになったのでした。それまでのさんちゃんねる録画もほとんど見直しました。

2016年の選挙のときは、ハラハラしながら、リツイートしたり、ちょっとしたツイートをしたりして応援していました。
頑張って全力で応援したつもりだったのですが、御存知の通り結果は落選。今から思うと、大甘で全然応援の本気度が足りてなかったですね。
落選がはっきりしたときは本当にがっかりして残念で、これから3年間、青健法も控えていてどうなっちゃうんだろう、そして何より「もう山田さんの活躍を見る機会は二度とないんだ」という現実を受け入れることがなかなかできませんでした。というのも、落選したら元のビジネスの世界に戻ってしまい、ひょんな事で関わった政治の世界には戻ってこないだろうと覚悟していたからです。

ところがところが、選挙翌日には落選ながら29万票を獲得したことがわかり、「また次の選挙に出てくれるかも!」という僅かな希望が出てきたのでした(山田さんがそういうことをおっしゃっていた)。
(つづく)